2017年 09月 23日
記憶の中のたべもの
ゆるやかな坂の下に
すずやはあった
店の日除けには緑の地に白抜きですずやとしか書いていない
建物の2階は住居として
1階は店舗として使われ
おばあさんが独りで切り盛りしていた
小さな頃の記憶をたどると
100円玉を握りしめ店に行き
持ち帰って食べていた
持ち帰る際は半分に折り畳まれ
簡単な容器に入れられ新聞紙に包まれていた
薄い生地にソースのかかった食べ物だ
それは日常の中にあるごく当たり前のものだった
小さな小さな町には
それを出すところが
すずやしかなかった
しかし
いつ頃だろうか
そのソースのかかったものに
お好み焼という名前があることを知った
なぜその事を発見したのか
はっきりとしたきっかけは思い出せないが
おそらく同じ様なものを隣の町で食べたときに
お好み焼と看板に書かれていたのか
その時から
薄い生地の食べ物をお好み焼と認識した
さらに
テレビや雑誌の知識から
お好み焼なるものが
この街のこの地域の独自のものだと判明した
今やこのお好み焼はこの地域を代表する食べ物である
生地にたまご、野菜、麺、その他季節の食材がのせられる
その姿は堂々としたものである
値段も立派だ
昔の記憶の中の畳んで新聞紙に包まれた食べ物とは別物である
追記
高校を卒業して関西に住んでいた私には
そのお好み焼がある種の心の支えになっていたと思う
by su-udon-otoko
| 2017-09-23 09:47
| つれづれに